体験型漢字講座 漢字探検隊

体験型漢字講座「漢字探検隊」について

開催の目的「漢字に触れ、漢字を体験する」

  1. 字源となる事物の知識を得る
  2. 漢字と関連する事項の知識を共に学ぶ
  3. 形音義―漢字の三要素を知る

おもな内容

  1. 実物を見て漢字を学ぶ―漢字ジェスチャー、動物園・植物園・伝統工芸館・城跡・酒造メーカー等
  2. 漢字を体験する―筆で木簡に古代文字を書く、印鑑や漢字パズル等の製作
  3. イベント―漢字あそび大会やワークショップの開催

漢字探検隊の活動

実物を見て漢字を学ぶ

テーマにより、このような漢字の成り立ちと系統が学べます

漢字ジェスチャー
人大又止従比化立位友受争歩走
動物園
犬鳥象角牙歯羽尾飛獲突集群島
植物園
生屮莫世木禾竹乗蝶慕本末秀稲
水族館
鱼貝虫亀甲殻海漁鯨鮪鰐蟹蝦蛤
酒造メーカー
酉水井升斗壺臼甬曾尊料通増層
伝統工芸館
糸巠工冓刀漆非絵素玄経軽構刃
神社
申示令土夭楽鼓電宗禁社祭若笑
城跡
宀广門韋爿片倉宮開戸囲衛将庫
農業体験
田禾力其苗畑男界利科秋協助旗
漢字ジェスチャーチラシ 漢字ジェスチャーをする男の子 みんなで漢字ジェスチャー 漢字ジェスチャー 漢字ジェスチャーをする女の子
漢字カード(表)漢字ジェスチャー編

漢字カード(表)漢字ジェスチャー編

漢字カード(裏)漢字ジェスチャー編

漢字カード(裏)漢字ジェスチャー編

漢字カード(表)様々なテーマ

漢字カード(表)様々なテーマ

農業と漢字 農業と漢字 農業と漢字

農業と漢字

漢字を体験する

漢字を体験する―筆で木簡に古代文字を書く、印鑑や漢字パズル等の製作

筆で木簡に古代文字を書く 漢字を親子で体験 制作風景 書道 印鑑作り スライドを使った解説 漢字パズルの制作 寸評

漢字イベント

漢字あそび大会やワークショップの開催
農業と漢字

「漢字探検隊」の開催について

「漢字探検隊」は2007年3月から全国40都市で通算200回超え、延べ参加者数はおよそ13,000人。

知識の断片化への憂い

「鮭」と「鱒」、「虎杖」「満天星」

漢字は知っていても、実物を知らない

「鮭さけ」と「鱒ます」、大人はもちろん小学生でも「読める」「書ける」という人は少なくないと思います。では鮭と鱒の実物の見分けはどれだけの方ができるでしょうか。また「難読漢字」として漢字検定やクイズなどに出てくる「虎杖」「満天星」を「いたどり」「どうだんつつじ」と読めても、どんな植物なのかご存じの方は多くはないでしょう。

漢字は、文字として存在しているわけではなく、その背景には、それを生んだ自然と人の営みがあります。それらを共に学ぶことを目的として、2007年3月に「漢字探検隊」はスタートしました。

白川静の「理想の漢字教育」『桂東雑記』Ⅱ「理想の漢字教育」(平凡社 2004)]

「漢字と仮名があり、仮名は平仮名と片仮名の二通り、漢字も字音と字訓の両方を使います。一つの同じ漢字なのに、音読みと訓読みがあって、その最たるものは人の名前に使ってよい音読みと訓読みで、これは大変な数でしょう。漢字を使用制限する一方で、ここでは野放図な訓読みを認めている」

「地名もそうです。そうした矛盾した政策を国がやっている。文字政策、国語政策の基本ができていないのです。国語の語彙の半分は、漢字が占めていることを踏まえて、国語政策を考えないといかんのです。」

「子どもたちには覚えられる方法で体系的に与えてゆくことが肝要です。それには子どもたちが理解できる方法でないといかんのです。理解させることが覚えさせることになるのですから」

「そうしたら自分の姓や名前、住んでる地名とか近所の人の姓とか、「なんでこの形なのなぁ」とか「なんでこんな字がつかわれているのかなあ」と考えるようになります。この「なぜか?」を導き出すことが、漢字の指導でいちばん大事です。」

「子どもたちの「なぜか?」の疑問に答えられる正しい知識が先生がたをはじめ、周囲の大人たちにないと、せっかくの「なぜか」が生かされません。」 「文字は孤立した記号ではない、ということを忘れないでほしい。古い時代からの世の中の有り様がそのまま、字の中にとじ込められていて、今の世に残っている。字の形の中に残っているのですから、そのような歴史的文化的流れの中で文字を理解していってほしいものです。」

私の履歴書

白川静 東洋文字文化研究所の前で撮影
立命館大学 白川静記念
東洋文字文化研究所 白川静名誉所長
研究所看板の前で(2005年6月)

漢字は1950字ほどに制限され、その半ば近くが訓読みのない字である。「おもう」は、「思」の一字だけで、思想 念願 追憶 懐古という語は用いることはできても 想・憶・懐に「おもう」という訓は与えない。これらの語をどのように説明し教えようと言うのか。

それぞれの訓を教えないで、どうして理解させようとするのか。消化されないままでただ暗記せよというのであろうか。そのような無機的な記憶が、知識となりうるのであろうか。

何よりもあてがわれただけで満足し、それ以外を余分のこととする教育が、人間を規格化することは確実である。その上一点一画の書法にまで介入するがその字形学的説明を行うことはない。しかもこれにしたがわないものは誤りとされ、学校教育から除外されるのである。一体このような規定の制作者は、漢字について果してどれだけの知識をもつ人たちなのであろう。